因幡修次という名の妖怪の音楽~Music of the monster named Shuji Inaba~

2015/04/23

『トルコのまりちゃん』




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作詞/作曲 因幡修次

トルコのまりちゃんは朝が早い
休むことなく働いてがっぽり稼 ぐ
魚雷の客には持ち前の
人の良さそうな立ち振舞でその場をしのぐ

トルコのまりちゃんは気立てが良くて
明るい笑顔で阿波を立てて陽気に踊る
歪な椅子にも嫌な顔せずに
壺の洗いも花の時計も見事にこなす

だから誰も見たことがない
夜中にすすり泣くまりちゃんの涙
いつか自慢そうに夢を語っていた
トルコの泡姫まりちゃん


トルコのまりちゃんは器量が良くて
サービス満点アフター裏引き何でもござれ
指名の客でも流れ客でも
壺の試しも二輪の車も見事にこなす

トルコのまりちゃんは口開け上手で
いつの間にやら気づいた時には太客稼ぐ
NS大好きツルツルお股は
ゴシゴシ泡立て三角地帯のタワシで洗えない



トルコのまりちゃんは年齢不詳で
どこから来たのかホントの名前も誰もが知らない
お茶挽くことなく次から次へと
取っ替え引っ替え朝から晩まで欲棒こなす

トルコのまりちゃんは経験豊富で
床の扱い笛の扱い見事にこなす
くぐりの椅子でも薔薇の花まで
潜ってくぐって愛撫って奥までほぐす

消すに消せない手首の傷痕
誰も知らないまりちゃんの謎
足を洗いたいと寝言で言っていた
トルコの泡姫まりちゃん


トルコのまりちゃんが星になった
誰も知らない月夜の晩に星になった
美人短命 美人薄命
皆んなのアイドルまりちゃんが星になっちゃった

誰もに愛され輝いていた
裏に隠れたまりちゃんの過去
この世の男達の夢と憧れ
トルコの泡姫まりちゃん
トルコの泡姫まりちゃん




横溝正史さんの小説をよく読んだ。

TVで「三つ首塔」を見て、原作が読んでみたくなったのがきっかけだったかと思う。
色あせてボロボロになった文庫本は、今もまだ持っている。
犯人を推理して読むというより、書かれている人物がどんな声をしているのか、
広がる光景にどんな音や匂いがしているのかを、想像しながら読むのが好きだった。


数年前、映画でブームになった作品をテレビで見たのがきっかけで、
その原作や有名な作品を何冊か購入したものも、手元にある。

その巻末に、出版社からのお断りがある。

(意訳)「今の時代からすると、それあかんやろ~っていう言葉や表現があるけど、
"作品発表時の時代的背景を考えあわせ"、ちょっこし最低限だけ、改めさせてもらったで。」


横溝さんが描く世界には、障害や病気の後遺症に苦しむ方々、一定の地域に住んでいた方々、
一部の職業の方々等、当時、不当な差別を受けていた方々が、重要なキャストとして登場する。
現代では、差別用語とされる名称で呼ばれていた方々だ。
上のお断りは、そういう名称等を訂正されたのではないかと思っている。

もちろん、横溝さんご自身、その名称を使うことや差別的扱いをすることを肯定されていたわけではないと思う。
小説の中で繰り広げられる世界・時代を表現するなかで、
その当時として使われていた言葉を別の言葉に置き換えることに
違和感を感じられて、そのまま使われていたのではないかと思っている。


現在、"ソープ"と呼ばれる特殊浴場が、その昔、"トルコ"と呼ばれていたことも、
日本に来たトルコの人が、自国を貶める名称だと悲しみ訴えたことがきっかけで
変更されたことも、知らない年代の人も多くなった。

今回のお歌に、わざわざ"トルコ"の名称を使わなくてもいいのではないか、
"ソープ"ではだめなんだろうか、と思った人もおられると思う。


私がリアルでそういう業界の方にお会いしたことがあるわけでもなく、
テレビや映画、小説での知識から思っている、完全な私見だけれど。
もちろん、全部が全部そういう方々なのじゃないのだろうけれど。


"トルコ"と呼ばれた時代、色を商売にされる業界は、
自分のためでもなく、自分から進んででもなく、実名も過去も隠し、
色んな事情で、飛びこまざるを得なかった方々多かった感じがする。
そういうお天道様から背を向けた世界に自分がいるという負い目のような暗さと、
自分がつらい思いをしている分、限りない優しさで相手をつつみ癒すプロのプライドをもつ、"玄人"の方々。
そしてその世界に、後ろめたさを抱えながら通っていくお客さん側。

性が開放(?)されつつある現代、その業界の方々と、一般の人との距離は、限りなく近くなったように思う。
自分の夢を実現するためへのステップだと、自らその世界に飛び込むことも普通に聞かれるようになった。
もちろん、人をもてなし癒し楽しませる本当のプロの方々もおられるが、
素顔をさらし、今と自分を楽しむ、"素人"さんと区別のつかない、むしろ"玄人"さんを感じさせない方々と、
そこに通うお客さん側にも、"トルコ"の時代のような、暗さはあまり感じない。


このお歌に出てくる"まりちゃん"は、
あくまでも"トルコのまりちゃん"であって、"ソープのまりちゃん"ではない。


"まりちゃん"は、相手が癒される明るい笑顔を持つ、毎日を楽しんでいる若いギャルではない。
相手を癒すために明るい作り笑顔で、明るいふりをしていた、闇の世界の天使と呼ばれるような、
哀しい玄人の、ちょいとトウの立った女性のイメージだ。
だから、"ソープ"ではなく、"トルコ"でないとダメなんだと、今の私は理解している。


なお、"まりちゃん"は、因幡さんが一般的な女性の名前として、何も意識せずに選ばれたお名前で、
架空の人物だとのことを、改めて書いておきたい。