因幡修次という名の妖怪の音楽~Music of the monster named Shuji Inaba~

2015/06/04

『命の音人』



<Youtube URL>  2014.11.04 発表


作詞/作曲 因幡修次

忘れられない純情と忘れてしまいたい哀しみが
寄せては返す間の中で解け合って涙が溢れ出た
数えきれない愛情と支えきれない温もりと
物憂き切ない世知辛しさと
夢を持ったあなたの強さを知る
強く生きたくて 優しくなりたくて
愛し愛されたくて 恋しい人になりたくて

初めて知った友情の味ぬぐい切れない絶望と
時間とともに弱気になった挫折の果てに人生を捨てた
人をうらやむことなかれ人をねたむことなかれ
物憂き苦い世知辛しさと
奇跡の教えと命の尊さを知る
強く生きたくて 優しくなりたくて
愛し愛されたくて 恋しい人になりたくて

強く生きたくて 優しくなりたくて
愛し愛されたくて 恋しい人になりたくて


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"たまたま出会った因幡さんの音楽に、どっぷりつかり、5年強の歳月が過ぎた"

1行で書けば、たったこれだけのことなのだけれど、この生月を振り返ると
"たまたま"出会ってしまったことからはじまって、
"たまたま"の積み重ねで、今、ここにこうしていると、改めて思う。


歌われる側と、聞きたい側が、
そんなにサービス数はないとはいえ、いくつかあるネット配信サイトを
同じ時代、同じ時期、同じ時間帯に、"たまたま"利用していて。

あのサイトに数あるお部屋の一つで、ある人が"たまたま"ライブを開かれていて、
数あるお歌の中から、あるお歌を、"たまたま"歌われていて。
それを通りすがった自分の耳に入り、"たまたま"一耳惚れしてしまい、
そのお部屋に飛び込んで。

"たまたま"そこにいた強烈な個性の人とお友達になり、その人の部屋に入り浸り、
その人と"たまたま"親友だった、同じく強烈な個性の人(?)の音楽に魅かれ、
いつの間にか、取り憑かれた状態になってしまい。

そのお二人のエピソートを歌にされたのをネットに残したいとのお話しに
初めての動画を作ることになり、そのままのご縁で、
色んなお歌をYoutubeにアップさせてもらうことになり。
動画にしたいと思われてるらしい、また私がそう思うお歌が、
山ほどあることに、恐れおののきはじめたころ。


あのお歌が生まれる。


因幡さんのお友達であるMさんのお嬢さん、Nさんのために作られたあの歌は、
彼女と彼女のお母様を元気づけただけではなく、
お歌が生まれた直後に起きた、3.11の東日本大震災に傷つき疲れた人を
癒し、元気づけるお歌になり。

思いに賛同してくださった、たくさんのネットシンガーの方が歌ってくださった
『いのちのはからい』の動画ををまとめた"いのりBOX"をつくり、
他の因幡さんの動画といっしょに、聞きやすくまとめたくて、このブログを立ち上げ。


そして、"たまたま"、『いのちのはからい』の動画に出逢い
つらい自らの生に終止符を打とうと思ってた人が踏みとどまり、


閉ざしていた心と世界を自分でこじ開け、
強い男になりたいと"むさし"の名を名乗って、書いたことのないメールを綴り、
いつの間にか因幡さんの親友となり。

最初は人とふれあうことすら怖かった彼に、母のように思える人ができ、
最初は恐る恐るだったがチャットにも参加して、たくさんの暖かいお友達ができ。


"もっとたくさんの人に因幡さんのお歌を聴いてほしいのです"


彼の願いにこたえたいと、
因幡さんも、Stickamだけではなく、Gummyと同時配信をされるようになり、
このブログにも、作品一覧等、色んなページが増え。

彼自身、"僕も力になりたいのです"と、歌詞BOTの監修に心を尽くしてくださり、
因幡さんからも、因幡さんのお歌の最強の理解者だといわれるようになり。


いつの日か、自分が元気づけられた因幡さんのたくさんのお歌を、
自分のような人に、自分が歌って聞いてもらって、元気を出してもらえるようになりたいという夢を語り、、
Guitarと歌を練習されるようになり。

どんどん強くなられて、彼の未来はこれからだ・・と皆が思っていた矢先。。


あの悲しい日がきた。



この『命の音人』は、亡くなられた彼へ贈られたお歌のひとつ

彼はメールの中で、因幡さんのことを"命の音人様"と表現されていた。
タイトルだけで、いろんな思い出が蘇る。


"強く生きたくて 優しくなりたくて
愛し愛されたくて 恋しい人になりたくて"


このお歌を聞かせていただくたび、
ご自身では気がついていなかった彼の強さを、
彼から知らず知らず受けていた優しさへの感謝を、
亡くなってからも、彼を想うお友達が増えていることを、
彼が生前願っていたことが、どんどん叶っていくことを、
伝えることが出来ないのを、悔しく思う。



因幡さんは、現在、主にツイキャスでネットライブを開かれていて、
"たまたま"配信を聴いたたくさんの方々が、お歌に魅かれ、
リピーターさんとして、また聴きに集まってこられる。


因幡さんが彼に贈られた数々のお歌で、
むさしさんのことを初めて知った方々がおられる。

心揺さぶられ、涙してくださり、ゆかりのお歌が何度もリクエストされ、
数々のエピソートはつきることなく、お部屋で語られる。

彼の愛したGuitarは、今、因幡さんの手元にある。
因幡さんの自室の特等席で、彼の分身として
彼の愛したお歌を思う存分味わったり、彼の代りに弾き語りされたりいる。

亡くなられてからも、彼と、彼が愛したお歌は、ずっとここで、愛されている。


『いのちのはからい』を、彼のゆかりのお歌を、
一人でもたくさんの人に聞いてもらいたいと、他の人に紹介してくださる方、
ご自分もいつか歌えるようになりたいと、
ギターを購入してはじめられる方もおられる。

彼が生前、夢としていたことを、誰かが叶えてくれるかもしれない。
その方々のお歌が、いつかまた、誰かを支えることになるのかもしれない。


"たまたま"が重なって、出会えた人、出会えた歌、生まれた歌、
語り継がれていく想い、歌い継がれようとしてる歌、

この『命の音人』を聞くたび、彼のことを想うたび、
この5年強の間の偶然の積み重ねも、すべての出会いと別れも、
"何か"に対する必然だったのかもしれないと思う。

それが何なのか、漠然と感じることを、どう言葉にすればいいのかわからないが、

今まで作らせてもらった動画やこのブログが、
"何か"が起きるために一部分になったのだとしたら、

そして、これからまた起きるかもしれない、"何か"のために、
彼の残した想いや歌詞BOTが、その一部分になるのだとしたら、

この5年間強を、彼と出会えたことを、自分がここにいることを、
感謝という言葉では表しきれないぐらい感謝している私の想いを、
一周忌の今日、ここに残させて欲しい。


友達になってくれて、今も友達でいてくれて、本当にありがとうね。