因幡修次という名の妖怪の音楽~Music of the monster named Shuji Inaba~

2017/06/04

『沈黙がうるさいほどに真実を連れてやって来る』



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作詞作曲:因幡修次


空を見る
君がいないか空を見る
君を探しに旅に出る
沈黙がうるさいほどに真実を連れてやって来る

花が咲く
今日も可憐に花が咲く
散る時知ってか満開に
沈黙がうるさいほどに季節をまたいでやって来る

今を知る
君を追いかけ今を知る
どこからともなく時を知る
沈黙がうるさいほどに現実を添えてやって来る


“なるべくなら殺生はせずに”
“なるべくなら幸せに”
“なるべくなら奢らぬように”
なるべくなら なるべくなら


過去になる
儚き束の間 過去になる
夢見る幻 鑑(かんが)みる
沈黙がうるさいほどに時を乗り越えやって来る
沈黙がうるさいほどに真実を連れてやって来る

(2014.06.24 発表)




3年前の6月4日の夜。

因幡さんの彼への追悼の思いを込めたネットライブが終わった後、
眠る気にもなれず、メールを立ち上げてみる。

やっぱりメールはきていない。

何かの間違いじゃないのかな?
もしかしたら、パソコンが壊れただけで、
メールやりとりがしばらくできないだけじゃないのかな?

そんなことを思いながら、本当に現実感がないまま、
ほんの数か月だったけれど、彼とやり取りしたメールを読み返す。


メール交換はのきっかけは、Youtubeの更新が停滞していたの不審に思い、
因幡さんに私の体調を気遣ってくださったのがきっかけだった。


最初はお互い遠慮しつつ、手探りで。

彼が因幡さんのことを1話すと、私が2返して、彼が3返す。
発表された新しいお歌のこと、ネットライブでのMCのこと。
ネット上に音源のないお歌のこと。


そのうち、'因幡修次様'や'apita様'をはじめ、彼を受け入れ友達になってくださった方々を
かたくなに'様'づけで呼んでいる彼が、
私のことの'さん'づけで呼んでくれるようになり。

まあ、それは、"私を'様"づけで呼ぶ間は、彼を'むさし殿'とお呼びするからね"と、実際呼び続け、
"そろそろ'さん'づけにしてくれない?そうでないなら、'殿下'とお呼びするぞ"と、
半ば脅かした結果なのだが。


お体の弱かった彼は、12時には寝るように、因幡さんと約束されてたはずなのに、
"今のネットライブのあのお歌すごかったですよね!""と感激したメールが届くのは
夜中の1時過ぎ。

”む・・さ・・し・・さ・・ん!!(←地の這うような低音をご想像ください)”
とのメールを返す。
全然違う話題でのお返事がくるのは、ちょっとほとぼりが冷めたころ。


そういうやり取りで、徐々に距離が近くなり。


やがて彼は、尊敬する大好きな'因幡修次様'には直接恥ずかしくて言えない、
でも誰かに言いたいぶつけたい、自分のほとばしるような思いをぶつける相手として、
私を認めてくださったみたいで・・

ぼくは因幡修次様が大好きなのです!
ぼくを友達だと言ってくれた方々が大好きなのです!

因幡修次様のお歌が音楽が大好きなんです!!
あのお歌はすごいんです!このお歌のギターはすごく難しいのです!
いつか歌えるように弾けるようになりたいのです!

ぼくは夢ができたんです!生きがいができたのです!
前を向いて生きるのです!

今ぼくは幸せなのです!

感嘆符が山ほどついていそうな勢いの、句読点(、)がついていないメール。

私の管理しているこのブログやお手伝いしてきたYoutubeや、音源BOTを、
いつもストレートに褒めてくれて、喜んでくれて。

因幡さんのお役に立ちたいけど何かできないかと悩んでいると知り、
歌詞BOTの監修作業をお願いすることになり、
それを、生きがいができたと言って、真剣に取り組んでくれて、楽しんでくれて。

ちょっと弱気になったり、後ろ向いたりした時もあったけれど、
それでも、ぼくには因幡さんとお友達がいるのだと、
前をむいて歩くんだと、気持ちが一杯あふれたメール。

顔が自然と綻んで、やさしい気持ちになって、
彼の純粋でまっすぐな思いが、私の心を浄化してくれるような、
自然と元気がでてくるような、キラキラしたメール。


メールフォルダを遡りながら、彼との思い出をたどる時間の旅。

あの悲しい夜でさえ、一人読み返しながら、
気が付くと笑顔になっていて、びっくりした記憶がある。


因幡さんに比べてほんの短い期間だったけど、毎日のようにやりとりした、
会ったことはもちろん、お顔も声も知らない彼とのメールが、
いつの間にか、私の日常の一部になり、はり合いになり、
私を支えてくれていたことに、改めて気づいた、次の朝。


因幡さんのブログに載せられていた記事は、
あの夜歌った『いのちのはからい』のYoutubeと共に追悼の言葉

そっか、因幡さんも同じように、彼に支えられてたんだなぁと、
私と同じように、彼がいなくなってはじめて、気がつかれたんだなぁと思った時、
改めて涙が出てきたことを思い出す。


そして、次にブログを見た時・・知らない地名。
おそらく寝ておられないだろうに、まさかもしかしてと、携帯にメールをさせてもらう。

"猪突猛進"の文字。

最後のお別れにと、彼のもとに文字通り飛んで行かれたこの旅のことが、
この記事に書かれている。


この、『沈黙がうるさいほどに真実を連れてやって来る』は、
悲しい旅の記憶と、彼を亡くしてからの辛い思いがこめられたこの歌。


因幡さんが彼に手向けた歌は、どの歌も、
見たこともないはずの彼の笑顔を穏やかに思い浮かべられるのに、
この歌だけは違う。


因幡さんの歌声が悲鳴が聞こえる。
悲しい鳴き声、、じゃない、悲しすぎる咆哮。

その合間に、私には聞いたこともない彼の泣き声が聞こえる気がする。
それは最後の言葉じゃない。
もう彼は一番大好きな人の一部になって、ずっと一緒にいられるのだから。


"ごめんなさい。一番大好きな人をぼくの友達になってくれた人達を
悲しませて泣かせてごめんなさい”


いつかは別れの時がくることは、どちらが先になるのかは、お互いどうしようもないこと。
思いっきり早かったけれど、あなたはずっと頑張ってきたのだから、
ごめんなさいなんて言うことないんだよと、
何度も何度も心の中で彼に話しかける。

何度聞いても、辛くなる歌。
はじめて、Youtube作成のお手伝いを放り出してしまおうかと思った歌。

彼はいつも、因幡さんの新曲ができるといつもすごく喜んでいたけれど、
このような新曲が二度と生まれないことを願ってしまう歌。


一人でも自分のことを思ってくれてる人がいるのなら。
一人でも自分のことを思ってくれていた人がいたのなら。

その人を悲しませてはいけない。こんなつらい思いをさせてはいけない。
体を厭わなければいけない。自分を大切にしないといけない。
必ず、天寿を全うしなきゃいけない。
幸せにならないといけない。
幸せな気持ちで、一足先にあちらの世界に行っただけなのだと、
その人に思ってもらわないといけない。

そんな、当たり前なのに忘れがちなことを、彼が伝えてくれている気がする歌。